福岡の行政書士加藤清正です。福岡県行政書士会会員。当事務所は相続・暮らしの問題や、債権債務など、相談に親身に丁寧に対応します。

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無題

先日、拙宅の飼犬が近所のあぜ道で 舞い降りたシラサギと 何か話をしている
ような そんな光景を見ました。その風景を材料に、掌編小説を書いてみました。
まだ題を決めてませんので、「無題」ということで 掲載してみます。あくまで
創作ですから、真剣にお読みいただくと恐縮するのですが・・・


 その頃母は精神を病みバスで三駅程の病院に入っていた。もとより父母は不仲である。女癖の悪い父の性癖が母の病の原因だった。母は叶わぬ父への愛を私に向けることで生きがいを見出していた。幼かった私も父よりむしろ母を慕っていたと思う。
ある日私は母恋しさにひとりバスに乗り母のいる病院に向かった。もとよりバス賃の持ち合わせがあるわけでもなく、父がいつも金をしまっている箪笥の引出しから千円札を持ち出したのだが、病院に行ったとて母への面会がかなうはずもなく、バスの車掌から手渡されたはずの釣銭まで紛失する始末に、帰宅した父からひどく叱られた。
「父ちゃんに内緒で母ちゃんの病院に行ってどうするつもりだ。そんなに会いたきゃお前も一緒に入院してしまえ。おまけに黙って箪笥から千円も持ち出して、泥棒とおんなじじゃないか」
 息子が母会いたさに無断で金まで持ち出したことは父にとって許しがたい思いだったに相違ない。返ってこない千円札もきっと痛かったであろう。町役場に奉職する父の俸給が一万円に毛が生えた程度の頃の話である。
 私はただ泣くしかなかった。
 翌日、父は子犬を連れ帰った。
 「真知子おばさんのところで生まれた犬だ。お前が可愛がってやれ」
 父の妹真知子の婚家に飼われている柴犬を何かにつけ私が可愛がっているのを父も知っており、産まれた柴犬の子を譲り受けたという。私はチビと名付け、起居をともにして可愛がった。チビは母の居ない無聊をかこつ最良の友であり、物言わぬ瞳で見つめるチビに私は母をさえ感じていた。チビとの散歩は私の日課となっていった。
 ようやく炎暑も和らぎ涼風が青くこうべを垂れ色づき始めた稲田の上を吹きわたる午後、私はチビを連れて散歩に出た。チビは先に立って首に結ばれた紐でむしろ私を引っ張るように尾を振りながら走ったが、道路を横切り、右に曲がって嘉麻川の堤防沿に二十メートルほど進んだとき、足元の石に躓き、私は思わず手に持った紐を放してしまった。『無二の友』とはいえ子犬である。チビは嘉麻川の堤防をたちまち駆け下り、稲穂が風にそよぐ田の畔道を走り去った。私も後を追ったが所詮小学生の叶う相手ではない。チビは百メートルも先をかけてゆく。
 チビはこのまま私の許から走り去ってしまうのではあるまいか。
走り去るチビの姿が母に重なり、私の愛するものすべてにも思えた。チビが行ってしまう、母ちゃんが行ってしまう。みんないなくなってしまう、私は駆け下りた畔道にしゃがみこんだ。
 そのとき、空を舞っていた白鷺が一羽、走り去るチビめがけて舞い降りるのが目に入った。犬が鷺やカラスを追いたてる姿はよく目にする。しかしこんな光景を見るのは初めてである。
 チビも足を止めて舞い降りる白鷺を見ている。
と、畔道に降り立った白鷺は二歩三歩チビに近づくと長い首をかしげ、チビを見下ろしている。チビも白鷺を見上げている。チビと白鷺の距離はほんの一メートルあっただろうか。数秒か、十数秒か。白鷺がチビに何か語りかけている、私にはそうとしか思えなかった。
 やがて白鷺は翼を広げ、大きく羽ばたいて暮れなずむ青空に飛び去り、チビは私に向かって猛然と走りだし、畔で座り込んでいた私の許に戻ってきた。
首をかしげチビを見る白鷺と見上げるチビの姿は数十年経った今も私の心の印画紙にくっきりと焼き付けられ、色褪せることはない。
 母の病が癒えることはなく命を終え、父は再婚した。その継母にはなじめないまま、チビだけが私の友であり安らぎだった。チビは長く生きたが、年を経て足腰が弱り、目や耳も不自由になって、私が東京の大学に進学し家を出ると間なしに死んだ。
 やがて父も継母も世を去り、私は長く勤めた会社の定年を迎えて実家に戻った。
 今、かわらずに舞遊ぶ鳥たちや嘉麻川のせせらぎ、晴れ渡る青空に浮かぶ雲を見る折々に、チビと白鷺の、あの日の光景を昨日のことでもあるかのように思い起こしている。
                                  
                                 了

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