福岡の行政書士加藤清正です。福岡県行政書士会会員。当事務所は相続・暮らしの問題や、債権債務など、相談に親身に丁寧に対応します。

行政書士:加藤清正事務所

メイン

2010年07月

「氏」や「名」の変更ー家庭裁判所手続(1)

行政書士加藤清正事務所(福岡)

思い切って、名前を変えました。
清正 ーーー 清允  です
ただし、読み方は 同じ「キヨマサ」です。

私は、子供の頃から 名前コンプレックスに悩まされてきました。
何せ「加藤清正」ですから、学校でも、どこでも、「加藤清正お馬
に乗って ホイホイホイ・・・」などとはやされ、大人になってから、
特に事業に失敗して タクシーの運転手をしたり、あれこれやって
いた頃、「加藤清正 などと 立派すぎる名前を付けられて 名前
負けした」と いつも言われていました。
成人してから、自分で家庭裁判所に出向き、名前の変更手続きを
やりましたが、結局、「親にもらった名前を大切に・・・」と諭され、
あきらめた想い出がありますが、まさか、後年、今のような立場で
仕事をするようになるとは、思ってもおりませんでした。
今の事務所を開いてからは、お客様の依頼で、家庭裁判所で氏や
名の変更手続きを 行いました。

筆者プロフィール


「氏」や「名」の変更ー家庭裁判所手続(2)

行政書士加藤清正事務所(福岡)

氏名の変更は 人生にとって、又社会的にも大変重要な
ことですから、簡単に認めてもらえるとは限りません。
むしほ、できない、という方が あたっていると思います。
しかし、一定の条件をクリアすれば、変更も可能です。
たまたま 私は自分の経験がありましたので、名前の
変更手続きについては ウルサイですよ。

閑話休題・・・
ただ、今回の 自分の「キヨマサ」については、無論、
家庭裁判所をとおした、正式な変更ではありません。
いわゆる 通称 として 「清正」でなく、「清允」と称する
ということです。

私は、やはり歴史上の人物のコピー として 最後まで
生きてゆくことには 抵抗がありました。私が生き、語り
やがて死んでゆくまで 結局 加藤清正 では、むなしい
と思ったのです。

ただ、命名した親の心を思うと、必ずしも 「清正」を
否定できるものではありませんでした。

しかし、今還暦を過ぎ、この先の人生は、親の与えた
生き様でなく、自分自身の「天道」に生ききってみたい、
と、そう考えました。
そして、そのとき、「允」という文字が、霊示されました。
つまり、インスピレーションです。

そういうことで、どうか 加藤清允を よろしく・・・。

以上 改名の顛末でした。

筆者プロフィール

“資金繰り”のお話し

行政書士加藤清正事務所(福岡)

山田洋次監督の あの名画「寅さん」、大好きでした。

主役の寅サンは別格として・・・、印象に残っているのは初代オイチャン(森川
信)です。オイチャンが頭を抱え,『馬鹿だねえ、アイツはホントに馬鹿だねえ』
と呟くと、何だか私自身が父からしかられているような気がしたものです。
また、隣の印刷屋のタコ社長も、何とも捨てがたい魅力がありました。汗を拭
き吹き、手形が落ちない、と言ってはカバンを抱えバイクに乗り、銀行に掛け
合いに行く、いかにも零細企業の社長の悲哀が伝わります。資金繰りに目処
がついたタコ社長は、キットその夜、家に帰って、一人冷たいビールをキュッと
飲み干したことでしょうね。私も若い頃、資金繰りに苦しんだ想い出があり、今
でも「蓄財」とはトンと縁のない身。 とても人ごととは思えません。

ところで、「多重債務者救済」と称して、金利を大幅に下げ、借入の年収制限
や、無収入の妻への融資には夫の同意が必要、などと世間では賑やかです。
『腎臓売れ』で勇名を馳せたノンバンクも、ほとんどつぶれてしまいました。
確かに、借りたくても借りるところがない、或いは貸してくれるサラ金がない、
という環境にはなりましたね。でも、これで多重債務者は本当に救済されるの
でしょうか。大阪府の橋下知事は金融特区構想を提唱してますが、一体どうな
るのでしょう。
タコ社長にも 今度ぜひ意見を聞いてみたいですね。

筆者プロフィール

道に迷う といふこと

行政書士加藤清正事務所(福岡市)

よく私は、自分の「立ち位置」を識る、ということを考え、悩みます。
「識る」とは、単に「知る」という言葉より、深い意味で、認識する
というか、識別する、悟る、という雰囲気に近いかも知れません。
その意味で、経営者として、人間として、今自分の事業が、人生が、
今どのような位置にあり、今何を為すべきか・・・。

心に平常心が保たれ、安穏を脅かす心配事、悩みのないときには、極
めて冷静に自己を見つめ、事業にも積極的に挑戦してゆくことができ
るのですが、心に迷いが生じ、気が萎えたとき、一体自分が、今どの
ような場所に立ち、どこを目指しているか、何をすべきか、何をして
はいけないか・・自分の「立ち位置」がわからなくなってしまいます。

かの良寛は吟じました。
過去巳過去  過去は すでに過ぎ去り
未来尚未来  未来は 尚未だ来たらず
現在復不住  現在は またとどまらず
展転無相依  展転して 相依る無し

吟詠は続き、『窮め窮めて 無窮にいたらば、始めて 従前の非を知らん』
と結ばれますが、私など、とても良寛の域には及びません。
無益な拘りを捨て、雑念、妄念を捨てて、中村天風師の世界に近づきた
いもの、と思います。

筆者プロフィール